北に位置する世界で最大の国土を誇り、その地は極寒としても知られるロシア。
日中日が差すことも少なくどこか鈍よりとした国背景を思い浮かべてしまう様なところですが、ファッションに対しロシア人は非常にセンシティブであり且つ確かな理解をしている事でも有名です。
歴史的背景を紐解けば様々な事がこの国を中心として起こってきましたが、今のファッションシーンに対しても同様、彼等はその圧倒的美的感覚と国上げての政策の下、これまで多くのロシア発のファッションブランドを創設してきました。
その中でも今最も知名度を誇るブランド「Gosha Rubchinskiy(ゴーシャラブチンスキー)」について少しご紹介していきたいと思います。
世界が張り詰める現代のファッションシーンに突如現れ人々を魅了したブランド「Gosha Rubchinskiy(ゴーシャラブチンスキー)」とは一体
「Gosha Rubchinskiy(ゴーシャラブチンスキー以下表記)」とは、徹底的なまでの明確なテーマを持って服作りを行うロシアのクリエイティブファッションブランドである事はご存知でしょうか。
デザイナーは、当ブランドを創設した「ゴーシャ・ラプチンスキー」が立ち上げており、東洋のエキゾチシズムやロシアの歴史的背景の中核でもある冷戦へのノスタルジーに想いを寄せ、サブカルチャーの表現に重心を置いた彼とその周りからなるファッション集団となっています。そのブランド構成自体もユニークなものとなっており、従来とは異なる各ジャンル毎のクリエイターやプレイヤー達と手を取り制作する一派となっており、その中にはサッカーのフーリガンやスケーター、そしてテクノ音楽等の幅広い趣向を持ったメンバーで構成されています。
ブランドとしての動きは2008年に、ゴーシャラブチンスキーの最初にあたるコレクション「Evil Empire」を発表し華々しいスタートを飾りました。その後、2016年には春夏コレクションでロシア構成主義へのオマージュを打ち出しており、わずか7年の間にて「クールさの確固たる代名詞」呼ばれロシア国内では大きな反響を得ました。またモスクワ以外のコレクションとしては2009年にロンドンで開催されたものが最初で、当時としては非常に珍しい発表となりこれまた脚光を浴びます。
ただ当コレクションに関しては準備期間が短かった為に、ベーシックなルックの小規模なショーとなったものの、ゴーシャ自身は周りの評価を気にしておらず「自分が表現したいことを自由に行っているだけである」と後に語っています。
というのも、彼等はファションをストーリーと考えており、コレクションにはトレーナーがつきものとなっているのが特徴。
従来の有名ブランドも、それぞれのストーリーを語ることで世間に高く評価されてきましたが、それぞれのデザインは全く違った世界観を表しており、90年代後半に大きな変化に直面したと彼等自身も語っています。
「人々は常に新しいストーリーを探しておりファッションアイテムにもストーリー性をもたせる必要がある。それがファッションに命を吹き込むこととなりアイテムの価値を生み出してゆくものとなるのだから」という思想のもと即ちにファッションに価値を与えるのは、周囲の人々の想いとなっており、感性にフィットするストーリーがあれば、魅力的なアイテムを作り上げれるという強い信念が彼等ゴーシャラブチンスキーを作り上げたと言っても過言では無いでしょう。
「Gosha Rubchinskiy(ゴーシャラブチンスキー)」の生みの親、ゴーシャ・ラプチンスキーのデザイナーとしても背景とは
彼はロシアのティーンエイジャーストーリーを今尚リアルにファッションを通し発信するジャーナリストであり、それに感情移入する人々やファンで彼はファッションデザイナーとしての地位が支えられています。
ストリートファッションは今や世界中の至るところで見受けられ、様々なタイプのデザイナーを排出していますが、モスクワではスキニージーンズをはいた人々も多くなっており、その欧州からの流行りがいち早く流れ込む「ロシアの中高最先端地」としてマーケティングの市場としても目をつけました。
また大手有名ブランドもスキニー市場に参入しており一般市場の流れになった今、ゴーシャ・ラプチンスキーが表現した今までとは全く異なるストリートルックに現地の若者はすぐに魅了されました。
彼自身、ロシアで育った中で見てきた「ロシアのファッション事情」に対しても何か新しい風を吹き流したいと思っていた矢先、自分自身と友の力を借り立ち上げた自社ブランド「ゴーシャラブチンスキー」が空前の大ヒットとなり、ロシアのファッションはより「表現」するものへと近づいていったのでした。
まだ若手ブランドとして認識されている「「Gosha Rubchinskiy(ゴーシャラブチンスキー)」ですが