フランス発祥メンズファッションブランド「LANVIN」

フランス発祥の弱冠若手大物ファッションブランド「LANVIN」

「LANVIN(ランバン以下表記)」とはジャンヌ・ランバンが創始したフランス発のファッションブランドです。

1883年にはフォーブル・サントノーレ15番街の帽子作りのお店に修行し、1889年ジャンヌ・ランバンが18歳のときにフランス・パリで帽子のお店を開業し事が彼のファッションデザイナーとしてのスタートとされています。

後にレディースウェアー・メンズウェアーの既製服、香水、ならびにアクセサリーなどを幅広く展開され「バーバリー」などと並んで、現代服飾ブランドとしては最も歴史のあるブランドの座に就きました。

ジャンヌ・ランバンが娘のために作ったドレスが話題となったことがキッカケとなり2011年現在、クリエイティブディレクターはアルベール・エルバスが務めており更にメンズウェアにおいてはルカ・オッセンドライバーと共にデザインチームを指揮しています。

また1889年にはメインブランドの他に「LANVIN en Bleu」など日本向けブランドも展開中であり、当初は婦人帽子店としてスタート。

ビジネスの概念はなく純粋に娘のために作ったドレスが顧客から評判を呼び注文が相次いだため、1890年には子供服を専門に扱う部門を立ち上げるものの、ランバンは親子服を扱う専門店へとリニューアルしました。

2つの部門は順調に成長しその後、本格的にレディースウェアに取り組む事となります。1900年代にはクチュール組合にも参入し、スパンコールやビーズを使った巧みな刺繍技術やリボンなどをモチーフにしたドレスが流行に。

布地の染色の技術にも長け、透明感のある深いブルーは「ランバン・ブルー」と呼ばれブランドのシグネチャーとなりました。

またランバンは1888年に創業以来ジャンヌ・ランバンを中心にデザインを手掛けてきたともされています。1946年にジャンヌ・ランバン死去後はランバンの娘マルグリートがランバンとパルファンの代表となり、1925年に香水部門を設立、1927年に発表した「アルページュ」がヒットアイテムとなりました。

ジャンヌは1937年にパリ・オートクチュール協会の会長を務めるなどファッション界へ大きく貢献し、女性として初めてレジヨン・ドヌール勲章も受勲。ジャンヌ引退後はクロード・モンタナなど数多くのデザイナーがデザインを続け2009年発売の「ジャンヌ・ランバン オードパルファム」は“恋に効く香水”として話題となり日本では一時品薄状態になるほどでした。

2001年にはアルベール・エルバスが就任。メンズウェアはアルベール・エルバスのディレクションのもとルカ・オッセンドライバーが起用され2006年にはレジオンドヌール勲章シュバリエも受勲します。
また、エルバスのドレープドレスなどは大きなトレンドとなるが2015年にアーティスティックディレクターを退任することが発表されました。14年間もの間長きにわたりランバンを支えたアルベール・エルバスの退任劇は大きく取り上げられました。
報道によると「ランバン」のオーナー、ワン・シャオランや最高経営責任者のミッシェル・ウィバンの間で経営戦略などについて揉めた事実があったと言われています。

「LANVIN」が魅せるブランドとしての魅力とファッション性

「LANVIN(ランバン以下表記)」というとバックや洋服、香水のイメージが広く浸透しているがメンズウェアやランジェリーブランドとしても評価が高いとされています。ランバンのオートクチュールは閉鎖したが歴史は古く最古参に入るブランドでもあり、ブランドは順調に成長を続け、1900年代には「帽子」や「ランジェリー」「刺繍用」のアトリエを設けました。

その後1920年代に入ると、アトリエだけで従業員の数は800人以上にまで上回ったとされており、コレクションのたびに300以上ものパターンを発表。

次第にコレクションを見に来る顧客も増加しランバンは急速に組織化が進んでいき当初2部門のみの運営であったランバンは、スポーツ、毛皮、紳士服、インテリアなど事業を多角化し発展していく事となります。

2001年にクリエイティブディレクターに抜擢されたデザイナーアルベール・エルバスになり、メンズはルカ・オッセンドライバーがデザインを担当。ブランドの成長に大きく貢献しこの2人の活躍によりランバンの人気は再燃しました。

ランバンにはかつてよりランバンカラーといわれる色使いがあり、その代表的なカラーを取り入れているのがランバンオンブルーです。

ブルーの他にピンク、チェリーレッド、珊瑚礁、アーモンド・グリーンなど多彩な配色が特徴。ジャンヌ・ランバンが最も愛したカラーは黒言われており、黒が使えないときは別のカラーに合せてモチーフを創作していました。

ジャンヌ・ランバンの色彩センスは生まれながらに備わっていたが、画家などとの交流によりさらに磨きが掛かり、デザインに合せモードカラーをつくり出すことに追求し1923年自社で染色工場を設けられました。このような努力からランバンカラーが誕生しランバンの色彩への強いこだわりと熱い思いが他では模倣出来ないレベルまで引き上げられたと言われています。