ポンプ式スニーカーで一挙話題に!スニーカーブランド「Reebok」とは

「スニーカーの定義は存在しない」

履き心地を重視する者もいればデザイン性を追求する者、機能性を重視する者、ファッションの一つとしてお洒落さを追求する者等々、沢山な人々が足元に履くスニーカーであるからこそその大義は異なり様々な表情をストリートに魅せています。

そんなスニーカーブランドの中でも1、2を争うであろうブランド「Reebok」について今回はご紹介していきたいと思います。

「Reebok(リーボック以下表記)」とは、いずれも過去数十年の間に数々の伝説を打ち立てたモデルを輩出するイギリスを代表する巨大スニーカーブランドです。

そしてそんなブランド起源はというと、「Joseph William Foster(ジョセフ・ウィリアム・フォスター以下表記)」が1895 年に創業した「J.W. Foster & Sons」というイギリス北部に居を構えていた小規模なブランドにまでさかのぼる事となります。

同年、陸上競技の選手であったジョセフ・ウィリアム・フォスターが「自身がより速く走るため靴底に鋲を打ったスパイクシューズを作った」ことがブランドの始まりともされています。

また、その後経営自体は1930年にFosterの息子たちが引き継ぎましたが、Jeff とJoeは1958 年に同社を離れ、サイクリング用のシューズを専門とする「Mercury Sports Footwear 」を創業しました。

その後「Mercury」という名称の商標登録に失敗した彼らは相応しいブランド名を探し求め、最終的に南アフリカに生息する脚の速いガゼルの名前に目を留めます。そのガゼルの名前こそが「Reebok」、今や世界を股に掛けるスニーカーブランドの名前となるのです。

「Mercury Sports Footwear」改め「リーブック」となったブランドは、半ば必然的にランニング シューズの市場へと参入し、やがて海外進出も果たします。

その後1969 年にはオレンジのスエードを用いた革新的なランニング シューズ「World 10」をリリースし、本格派のランナーたちを虜にしました。1970 年にリーブックのシューズを履いた陸上選手「Ron Hill」 がボストン・マラソンで優勝すると、シグネチャーであるストライプは世界中に知れ渡り、輸出先も順調に拡大をしていきました。

また当時はエアロビクスは一過性のブームだと一蹴する意見もありましたが、カリフォルニアでセールスを担当していた「Angel Martinez」 は、この心肺機能と柔軟性を高めるエネルギッシュなグループエクササイズが、未曾有の潜在性を秘めていることを見抜き、この先見性が 1982 年にリリースされた史上初の男性専用エアロビクス シューズ「Freestyle」の誕生へと繋ながり、ナイロンで裏打ちした柔軟なガーメント レザーのアウターに、テリー タオルのライナーを組み合わせ、アンクル固定用のダブル ベルクロ ストラップを装備したスタイルは、ロー トップとハイ トップの両モデルともに市場の好機を捉え、瞬く間に爆発的なヒット商品となりました。

Jane Fonda がVHSテープでリリースしたワークアウトのシリーズにも後押しされ、1980年代半ばには、エアロビクスは10 億ドル規模の市場へと成長を遂げます。

「Reebok」がこれ迄に成し遂げてきた偉業とこれから先の展開は?

アンダーグラウンドのムーブメントが日の当たる場所への一歩を踏み出すうえで、「Reebok Classics」のラインがスニーカ業界、しいてはファッション業界へと大きな役割を果たしたことは否定できない事実と言えるでしょう。Paul Firemanの率いる経営陣が1980年代に大きなリスクを冒したからこそ、現在のリーブックがあります。
彼等が成功したのは、有名人を多用する派手なマーケティング手法のおかげでは決してなく、その親しみやすいブランドであるからこそ、多様なサブカルチャーの発生過程で繰り返し大きな役割を果たすことになったのです。

兄弟、姉妹、甥、姪、息子、娘の全員が、年長者のステータスシンボルとして着用される「Classic」の姿を目撃しながら育つことで、リーブックのレガシーは親から子へ、子から孫へと受け継がれていきました。
Workout、Club C、Classic の飾らないシンプルなスタイルは時代の転機を映し出す銀幕として常に不屈の精神を反映し、リーブックのスニーカーはこうして不滅の伝説を打ち立てたのです。

これから先も起こるであろう口宣絶後のスニーカーブーム。
既に多方面から生まれ出る世界的にヒットしたスニーカーブランドを押し抜けて、彼等の生み出す「伝統」を忠実に表現した「先進的スニーカーライン」の誕生に目が離せません。