国内巨大ラグジュアリーブランドの筆頭格「COMME DES GARCONS」

百貨店や路面店、セレクトショップへと行けば一度は目にしたことがあるであろう「COMME DES GARCONS」

その知名度と人気は海外までへも影響し、今や世界中にファンを抱えた日本屈指の巨大ラグジュアリーブランドの筆頭格として認知されています。

そんな彼等「COMME DES GARCONS」の知られざる歴史とブランド背景について今回はご紹介していきたいと思います。

世界展開をいち早く視野に入れた日本ファッション業界の筆頭格「COMME DES GARCONS」とは

「COMME DES GARCONS(コムデギャルソン以下表記)」とは1969年に川久保玲が創業したファッションブランドであり、ブランド名の由来はフランス語で「少年のように」という意味を持ちます。

実質的な意味は「少年の持つ冒険心」であり、直訳すると「少年のように」はメディアのディレクター等による解釈の一例であって、ブランド名については積極的に名付けたものでもなく単に明確に他と区別される最小限のものであると彼等は認識しており、デザイナー自身の関心はこの意味付けよりも「服の造形」の方へと強い関心を向けています。

簡単に言うと「名前とは有って無い様なものであり、最も大事なものは我々が生み出す洋服だ」という事を後に語っています。

またブランド運営自体も非常に大きなものであり、その中でも中核となるブランドは「コムデギャルソン」「コム デ ギャルソン・オムプリュス」「コムデギャルソン・ジュンヤワタナベ」と大型なものとなっています。
そんな活動も相まってか業界内からは「創造集団」とも称され、主なデザイナーは「川久保玲、渡辺淳弥、栗原たお、丸龍文人、二宮啓」と五人で数々の歴史的アイテムを生み出してきました。

その影響力は確かなものであり、80年代には黒いコムデギャルソンの洋服で身を固めた「カラス族」なるスタイルが流行し、日本国内では社会現象にまで発展。社会に流されることのない自立した人物像を求めたデザインで、モノトーンな色を多用したコレクションを展開しました。

また、顧客向けに発行するビジュアル誌「Six Sense Magazine」のつくりも独特でこれまた脚光を浴び、媚びない美しさを全面に押し出す姿勢に徐々に世界へ向けてもその影響力が及ぼすのも時間の問題でした。

そんなコムデギャルソンのデザイナー兼であり創設者でもある「川久保玲」は1942年に東京で生まれるとう来歴を持つ。

1964年に慶應義塾大学文学部哲学科を修了後、素材メーカーの旭化成に入社。その後繊維宣伝部でスタイリストの経験を3年間積んだ後、1967年からはフリーランスのスタイリストとなりました。

広告写真撮影の仕事で必要な洋服がどうしても見つからなかった時、自分自身の手で洋服を作るようになります。

それよりケースバイケースで服作りを始めるとスタイリストからデザイナー・パタンナー・縫製・仕上げまでを自分自身で手掛けるという偉業を成し遂げ、1973年には現在の株式会社「コム デ ギャルソン」を設立、1975年に東京コレクションに初参加し原宿のパレフランスで執り行われたファーストコレクションは好評で同年には直営店を青山にオープンしました。

その只ならぬビジネススピードと持ち合わせたファッションセンスで日本国内において成功を収めた矢先、次は「山本耀司(Yohji Yamamoto創設者兼デザイナー)と共に1981年にパリへと進出。

パリ プレタポルテ・コレクションに発表した黒服のコレクションがファッション界にセンセーショナルな稲妻を落とし、それまでのモード界では禁忌的な扱いを受けていた黒を多用したデザインは、穴を施したニット等、ファッション業界の既成概念に一石を投じました。これは後に「黒の衝撃」として語り継がれることとなります。

コムデギャルソンに対する評価は別れたものの、以降は毎年、パリを中心にコレクションを発表しており「山本耀司」「三宅一生(ISSEY MIYAKE創設者兼デザイナー)」らと並び、80年代のDCブランドブームを引っ張り「ボロルック」とされる黒を主役にしたスタイルを定着させ海外での評価を獲得しました。この成功をきっかけに1982年にはパリ法人を設立したのと同時に店舗もオープン。

日本初のラグジュアリーブランドとして地位を固めることとなります。

国内屈指の実力はブランド「COMME DES GARCONS」が及ぼす日本ファッションへの影響

近年では「ブラック コム デ ギャルソン」というラインを2009年に1年半だけの期間限定ブランドとして創設をしたが、国内及び国外でも大人気を誇りその後も継続をしました。

文字通り黒がメインの展開であるものの、バックナンバー作品をオーダーできるようになっており、これはファッションブランドとして初の試みでした。

「トリコ コム デ ギャルソン」を1981年に創設するも否や、従来のコム デギャルソンよりも若々しいイメージで、着用しやすいアイテムが揃っており、丸龍文人がデザインを手掛ける「ガンリュウ」を2008年創設すると、これまた日本国内を中心に大ヒットを遂げ、日本人が生み出す日本人の為の世界に通用するファッションアイテムを展開させました。

既に絶対的な地位まで上り詰めた彼等ですが、今後の展開は更に拍車の掛かった動きに目が離せません。