トップジュエラー「カルティエ」が切り開く腕時計の新時代
出典https://www.gressive.jp/tokimegu/2013/sihh/cartier/02-01.html
トップジュエラーとして君臨する「カルティエ」、「世界初の男性用腕計」を生んだ時計ブランドという顔も持っており、その卓越した技術は継承され、傑作を生み続けています。
カルティエの腕時計というと、近年まではレディースウォッチの評価が非常に高く、メンズ向けはその延長上にあるビッグサイズ仕様という印象や認識がありました。しかし2010年にブランド初のメンズ専用シリーズ「カリブル ドゥ カルティエ」が誕生したことで、一気にラインアップの幅を広げることに成功したといえるでしょう。
もちろん先述したように時計製造の歴史は深く、また一大ラグジュアリーブランドグループである「リシュモン」の筆頭ということもあって、リリースされるコレクションはいずれも美しさと機能性を兼ね備えた名作が多いです。
1847年には、ルイ=フランソワ・カルティエがパリにジュエリー工房を開いたことで始まったカルティエが、どういった道をたどって時計分野に進出し、最高峰へと上り詰めたのか。年代を追って解き明かすこととなっていきました。
また創業者の息子で2代目オーナーのアルフレッド・カルティエが、長男であるルイ・カルティエを共同経営者に据えたのが1898年のことですが、ルイは類まれな手腕を発揮し、翌年には現在も本店を構えるパリのラペ通り13番地に店舗を移転させたほか、ガーランド様式によるプラチナ製のジュエリーを発案して宝飾業界に革命をもたらすなど、カルティエの躍進に大きく貢献したのでした。
その後、数々の傑作ウォッチを手掛けたのである。
3代目オーナーとなったルイ・カルティエは、友人で飛行士のアルベルト・サントス=デュモンより飛行機の操縦中でも時刻を確認しやすい腕時計のオーダーを受ける事となります。
そこで開発したのが、世界初の男性用腕時計こと「サントス」、レザーストラップを付けたこの革新的な1本の発明によってルイは腕時計に大きな将来性を感じ、ジュエリーと並行して力を注ぐようになっていきました。そして1906年には初の量産型腕時計として「トノーウォッチ」を発表し、1917年には戦車をモチーフにした写真の「タンク」も完成させたのでした。
カルティエが世に放った歴史的3本
出典https://www.gressive.jp/tokimegu/2014/sihh/cartier/02-01.html
エドワード7世に「王の宝石商」と言わしめた稀代のジュエラーは、腕時計ではスイスとは異なるアプローチからユニークなタイムピースを輩出してきました。
とりわけ「サントス」「タンク」「パシャ」は同社のシンボルとして、今なお輝き続けています。
まず1904年に生まれた「サントス」は、「ブラジルの飛行機王」ことアルベルト・サントス=デュモン氏のために製作されました。それまでの腕時計は懐中時計にベルトを付けたようなデザインが大半だったが、「サントス」は正方形ケースで、その四隅に流麗なラグを設けてレザーストラップを通すというスタイルを確立。時刻の読み取りがスムーズで、装着性も優れることから高く評価され、1910年代には市販化。代表的シリーズとして継続されています。
もうひとつのスクエアフォルムの名作「タンク」もまた100年を越える歴史を持っており、ヨーロッパに暗い影を落とした第一次世界大戦中の1917年、平和をもたらす象徴とされた「戦車」を題材にしたモデルとしてデビュー。ケース両側面の上下をキャタピラーのように突き出し、そこにストラップをセットしたエポックメイキングな外観で人気を博したのでした。それは1920年代に全盛期を迎えるアール・デコ様式のシンボリックな存在ともなったのです。
1930年代、マラケシュ太守だったエル・ジャヴィ公がカルティエに「プールで泳ぐ際に使える防水時計」をオーダーし、開発されたのが角型ケースの「タンクエタンシュ」、このモデルをベースに丸型にしてリューズプロテクターや両サイドをビス留めするラグ、アラビア数字を使った文字盤、グリッド(格子状のマスク)を備えたモデルを1943年に発明。これが「パシャ」のルーツとされており、現在もこれらの特徴を受け継いでいます。